こんにちは、私は今年東京サドベリースクールを巣立ち、社会に出る18歳の生徒です。

7歳から10歳までアメリカのボストンにあるサドベリーバレースクールに通い、その後、18歳まで東京サドベリースクールに通ってきました。

私は今までサドベリーにしか通っていない私の視点から、サドベリーの素晴らしいところや、課題、様々なことを正直にお伝えしていきたいと思います

Q. 8年間通って今思うことはなんですか?

本当に色々なことがありました。 楽しいことや嬉しいこと、悲しいことや辛いこと。一言では表せません。

この8年間は色々な段階がありました。一般的な学校に通っていないことに対してすごくコンプレックスを持ったり、不安があったり、色々なことを感じていました。

最初の頃はやりたいことが見つからずすごく迷っていたので、直感的に楽しいこと、ゲームやおしゃべりなど、大人が見たら必要ないと感じるようなことばかりしていました。

東京サドベリースクールに行く前のアメリカで過ごした3年間は素晴らしい経験だったと思うのですが、英語が話せなかったので、3年間子ども時代が失われていたような気がします。

なので東京サドベリーで過ごした最初の数年間は、ゲームや雑談ばかりしていましたが、その時間はすごく大事な、自分を癒すのに本当に必要な期間だったと思います。

自分のやりたいことが見つかりだしたのは、その迷いの期間を過ごした後でした。私は色々な人と、色々な意見を交換するディベートが大好きだったので、スクールのルールを作るのに夢中でした。

次第にどんどんやりたいことが見つかり、私がすごく情熱的に感じる音楽や環境問題、人権問題のリサーチに時間を費やすようになりました。サドベリーはやりたいことを追求するために、どういう形を取っても尊重してくれます。

私はどちらかというと外の世界に出て、直に体験してみるという方法で興味を追求してきました。

私は、サドベリーをすごく有効的に使わせてもらったと思います。1日のスケジュールから、年間計画まで全て誰から何を言われることなく決めていきました。
音楽が好きなので、サドベリーでコンサートを開催しましたし、興味がある講演会やセミナーがあるときは、スクールを堂々と休んで参加することができました。

サドベリーから学んだことは、数えきれないほどありましたが、この時間の柔軟性やシステムも、私がサドベリーに居続けてよかったと思う理由の1つです。

Q. 一般的な学生との交流は?

私はアメリカから帰ってきた頃、自分に自信がなく自分を尊重してあげることも愛してあげることもできず苦しんでいました。

それに加えて、一般的な学校に通っていないというコンプレックスも持っていたので、対等に外の人とお話しするのが苦手でした。

けれども、最初の数年間、サドベリーで何もせずに自分を癒しながら、じっくり自分だけとの対話をすることができたので、どんどん自信に満ち溢れていきました。

私は小さい頃から、同じ年の子よりも大人と一緒にいることが多かったので、14歳の時、同じ年の子がたくさん参加する、プロジェクトに関わった時は少し驚きました。

私が普通だと思っていた、立ち振る舞いや話し方、考え方とは全く違ったからです。

それまで同じ年のお友達といえば外国人がほとんどだったので、日本人特有の空気を読みながら自分の意見をあまり伝えない、伝えてはいけないという雰囲気にも少し戸惑いましたし、慣れるのに時間がかかりました。 今でも不思議に思う時もあります(笑)。

ですが、参加した様々なワークショップやセミナーで出会ったたくさんの男の子や女の子とのつながりは、素晴らしい気づきやギフトをもたらしてくれました。

自信を取り戻すにつれ、自分の中でバランスが取れるようになってきたので、制限なく同じ年の子たちとつながれるようになりました。様々なプロジエクトに参加して、公立校だけではなくインターナショナルスクールや私立、女子校や男子校など、色々な子との関わりを持つようになりました。

その子たちと話していくにつれ、今ある教育システムに疑問を持つようになり、「真の教育とは何か?」ということを自分なりに考えてきました。

サドベリーがすべての人にとって正しい道だとは言えませんが、私にとってはいちばんよい教育だったと、違う道を進んでいる同じ年の子たちと交流して初めて、本当の意味でわかったと思います。

Q. 彼らと、自分の同じところと違うところは?

それは「自信」だと思います。本当にシンプルで、誰もが持つべきものだと思いますが、多くの人が持っていない現状を見ると心が痛みます。

もちろん私にはできないことがたくさんありますし、常議から考えたらありえないくらい普通の勉強もしてきませんでした。

たとえば理科の勉強などほぼしていませんし、普通に知っているだろうと思っていることを聞かれてもほとんど知らないと思います。

ただ、誰にも負けないものが1つだけあるとしたら、本当に自分のことを愛していて、信じてあげているということです。

それは心から自信を持って言えます。今世界的にも「I love myself(自分を愛してあげようよ)」というムープメントが進んでいますが、それを言っている90%の人はそれを実際に思えていないんじゃないかと思います。

自分を愛する、尊重するということは本当にシンプルで簡単そうに聞こえますが、実は危険なジャングルを生き残るよりも難しく険しい道のりだと思います。

私はまだまだ自分の中で足りないと思ったり、自分には価値がないと決めつけてしまう時もたくさんありますが、湧き出す噴水のように、自分に対しての愛が常に溢れているので、人に何か厳しいことを言われても自分の中心に戻れる気がします。

それはこれから長い人生において理科よりもはるかに大切な学びだったと信じています。

Q.人生をもう1度やり直せるなら、またサドベリーを選びますか?

正直にお話しします。私の人生において考えると、答えはもちろんYESです。私にとっては一番良い選択だったと思いますが、この質問は今でもよく考えます。

例えば、インターナショナルスクールに通っていて、教養があって社会にも世界にもつながっているような子たちを見て、すごくキラキラしていていいなと思うことがよくありました。

サドベリーに通っていることを人に理解してもらうのは初対面だと難しいですし、今でもほとんどの親戚には理解されていない気がします。でも、シンプルにいうと人生では「何をしたいか」、「何を信じるか」だといつも思うのです。

サドベリーに通っていることに対して、批判を受けることもよくあります。

直接的でなくてもリアクションを見ているだけでわかるのです。傷ついたことも数え切れないほどありました。でも様々な意見を色々な方から頂くたびに、今の公教育がどれだけ世界の流れに乗っていなくて、矛盾していて、時代遅れかということを思い出すのです。

社会で必要な人材を育てるための教育と、今存在する教育は本当に矛盾していると思います。

私がサドベリー教育を受けさせてもらったことは、辛い経験を含めて、これ以上の教育はなかったと思うので、誇りに思いますし、常に大きな責任を感じています。

もちろん、すべての生徒が、私が学んだことをサドベリーに通うことで自動的に学ぶわけではないと思います。でもそれも、本当の意味で全部自分次第だと思うのです。

いつもジョークのつもりで、サドベリー教育はハイリスク、ハイリターンか、ハイリスク、ノーリターンだよと言っていますが、私の場合はハイリスク、スーパーリターンでした(笑)。

もし数年前に同じ質問をされたら、絶対に同じ答えではなかったと思いますが、今これほど確信を持って堂々と言えるのは私が心から尊敬する人やメンターに、サドベリーの話をすると驚くほど共感していただけるからです。

私の自信や確信は一夜で得たものではなく、何年も悩み苦しみながらも、人生の答えを探し続けてきたからだと思います。

Q. 学歴がないことに対して不安を覚えたことはありますか

もちろんあります(笑)。最初から自信に満ち溢れた人が少ないのと同じで、私も両親が真剣に考えてくれて見出した答え、選択に対してすごく不安でした。

最終的にはサドベリーを選んだのは私であって両親ではないのですが、アメリカに引っ越したのも、両親が世界中の学校を探して見に行って、その中で選んだのがサドベリーだったので、それに関しては一生感謝しきれないと思います。

サドベリーではカリキュラムがないので、思う存分好きな勉強や、好きな活動ができます。でも、それで読み書き算数ができないのであれば話になりませんよね…。

今は、全くそう思いませんが少なくとも数年前まではそう思っていました。私は当時、ほとんどの人と同じように、「常識」という見えないルールにものすごく縛られていたと思います。

私は長い間、数学ができなかったらまともな人(価値のある人間)ではないと思っていました。小さい「常識」という箱から飛び出して、俯瞰しながら考えるとそんなことは一切ないのに、ずっとそう考えていたのです。

今でもそう思う人はたくさんいると思います。残念ながら、それが今の社会の現実だからです。良い学校に通い、良い大学に行き、良い仕事に就く。東大卒の人でさえ、内定がもらえない時代になってきているのにこの幻の「常識」はいつまで続くのでしょうか?すごく不思議に思います。

私は好きなこと、興味のあることにしか時間を費やしてきませんでした。 これからも必要と思わなかったら、「国語、算数、理科、社会」の勉強をすることはないと思います。

最近、心理学のPh.D.(博士号)を取ろうかと真剣に考えていたのですが、学歴がないからといって、自分を「勉強できず成長できない人」だとは1ミリも思いません。

逆に自分の時間をコントロールすることだけをやってきたので、本当に取りたいと思ったらできると信じています。 全て自分の人生の中で必要か判断して、責任を持ちながら信じる道を貫きたいと思います。

Q. では今後、どういう人生を歩んでいきたいですか?

サドベリーという普通とは全然違う教育を受けてきたので、大学に進むことが長い目で人生を見た時に良い選択なのかというのを、真剣に考えてきました。

すごく興味があったので、13〜14歳から様々な業界の方や、色々な人生を歩んできた方に大学について聞いてまわっていました。

「大学に行っていちばん良かったことは何ですか?」という質問を数年に渡り、たくさんの方に聞いてきましたが、面白いことにほとんどの人が「人」だったと答えました。

私なりにその意味を考えてきましたが、今の時代AI(人工知能)やちょっと前まで考えられなかったテクノロジーが進んでいて、今ある職業が、この数10年でほぼ無くなると言われています。

たくさんの方が大学に行って良かった理由が「人」と答えたのは、これからコンピューターが1秒で割り出せる情報や答えではなく、人間にしかできない発想や、知性がこれまで以上に必要になってくるからなのではないかと思います。

今からいちばん必要になってくる、「クリエイティビティ」や「ユニーク」な要素は学校の教科書やテストだけだと、到底足りないと思います。

私が今後取り組んでいきたいと思っているのは、「教育」「人権」「環境」の3つです。サドベリーしか通っていない私だからこそ、今の教育システムを変えるにおいて大事な要素を提案できると思います。

私の周りの大人はビジネスをなさっている方が多く、皆さん今後は資本主義が崩壊すると言っていましたが、私にはその意味がわかっていませんでした。

社会に出ようとしている今、なぜ私たちはこの矛盾したシステムを作り出したのか、少しずつわかってきた気がします。私たちは消費社会に住んでいて、「もっとあれが欲しい、これが欲しい」というゲームの中にはまっていると思います。私も女の子としてそれにはまっていました。今でもはまっていると思います。

このまま進めば環境問題と言えないくらいに、私たちの生命としての存続危機は迫っていると思います。

私は環境問題ではなく、環境意識だと思っていて、「エコロジー」と「エコノミー」は切っても切れないものだと思うので、このまま進んでいけば、この連鎖から出られなくなってしまうと思います。

私はこのことに、どうしても目を瞑ることはできません。私はアメリカに住み、これまで様々な国に連れて行ってもらった経験があります。

人種差別や貧富の差、学歴の違い、生活レベルの違いなど、これらの問題は実質的な解決策も必要だと思いますが、先進国にいる私たちの心が満たされていけば変わることもたくさんあると、日本に戻るたびに思います。

なんで日本はこんなに外は豊かなのに中(心)が豊かではないのでしょうか?自殺率が上がっているのも本当に心が痛みますし、私は命がある限りこのキリがないように見える、「平等」に関する間題に関わっていきたいと思います。

「教育」「人権」「環境」の3つを見てみると、本当にシンプル過ぎるなと思ったくらい、基本的な事に取り組んでいくのだなと思いました。しかし、いつの時代も人間が存在する限り、この3つは必要不可欠だと思います。

私が存在する限り、少しでもこの3つを前に進めていくことにコミットしていきたいと心の中で決めました。

今まで、このようにサドベリーのことを書くことはありませんでしたが、一度パソコンに向かったら、文書を削る必要があるくらいたくさん言いたいことが溢れてきました。それと同時に、感情もたくさん出てきて、今、涙も溢れています。

ここでは伝えきれないほどまだまだ言いたいことが山ほどありますし、これからの人生で、私の苦くて甘かった、美しい子ども時代「サドベリー」のことをお会いする方、一人ひとりにお伝えしていきたいと思いますが、このような機会でサドベリーのことを文章にすることができて、本当によかったです。

長い文章でしたが、最後まで読んでいただき本当にありがとうございました。いつか実際にお会いして、お話しすることをとても楽しみにしています。

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