一緒に「居る」けど別々に「在る」
生徒がソファにゆったりと腰掛け、パソコンで何かしている。
私は生徒から見えるが少し離れた場所で本を読む。
もちろん会話はない。
でも、どちらも相手の存在を見ていないわけではありません。
自分一人の時間に没頭できるのは、相手が自分を尊重してくれることに自信を持っているからだと思います。
自分が人から認められている感覚がないと、「自分のしたいことをしていいのだろうか」とためらいが生まれると思います。
反対に、自分が相手を信頼していなければ、好きなことをしている姿なんて怖くて見せられません。
本を読む私は「私はあなたを信頼して自分の時間を過ごしているよー!だからあなたもそのまま自分の時間に集中してくれて大丈夫だよー!」というメッセージを発信しているし、おそらく生徒も「否定されないことはちゃんとわかってるよー!このまま続けるねー!」と返してくれているのではないでしょうか。
意識はしていなくても、お互いを尊重する気持ちがあるからこそ、同じ空間で別々のことに取り組めるのだと思います。
私は現在、絶賛就活中の身ですが、「一緒に居るためには同じように在る必要があるんじゃないか」という歪んだ思考に陥ってしまうことがあります。
「この会社で働きたいな」と思ったとして、「会社が求めているであろうこと」に極端に寄せていってしまうのです。
いやいや、そうではないでしょ、とスクールで生徒と過ごす時間を通して、改めて本当に必要なことを自分に問うています。