違いを知って気づく

こんにちは、生徒です。

本日は生徒の立場から、違いを知って気づくについてお話ししたいと思います。

先日、二年ぶりぐらいに会う二人の友人と、

その友人の友達の合計四人で出かける機会がありました。

その三人は一般的な学校に通っていて、特に不自由なく学校生活を送っているようでした。

私自身、同年代と話す機会が少ないので貴重な時間になるなと思い

このお出かけに参加することを決め、その時間の中で自分自身の感じたことが

記事を書くのにいいかもしれないと思ったのでこの内容を書いています。

環境の違いと価値観

久しぶりに会う友人とその友達とでは、やはり話す内容も

考えていることも随分と違うので、話している内容についていけない部分ばかりでした。

三人は学校のテストの話や受験の話をよくしていて、

私はそれを聞きながら「自分もサドベリーに行かなかったらこんな話をしていたんだろうか」

なんて一人思っていました。

別にサドベリーに来たことを後悔するわけでもないですし、

なにより自分としては公立校にいる時よりずっと幸せです。

でも環境が違えば話す内容も考えることも違うと思うと、「人間って面白いな」と私は感じました。

そんな話を続けていたら、だんだんと友人の一人とその友達とで

喧嘩というか、罵り合いみたいなものが始まりました。

私は喧嘩自体見ることが稀だったので驚いていたのですが、

もう一人の友人曰く「普通のこと」「いつものことだ」と言っていました。

罵り合いとかお互いを比べ合って優劣を作ることは

決していいこととは思えなかったので、その場のギスギスとした雰囲気が嫌だったのですが、

そんな中「なんでこんなにも私と友人たちの捉え方に差があるのだろう」と、ふと一人疑問に思ったのです。

その答えはすぐ出たのですが、やっぱり環境の違いが大きいんだろうなと感じました。

もし、周りに悪口ばかり言う人がいれば、自分も無意識に影響を受けているかもしれませし、

その環境しか知らなければそれが普通だと思うことも多いと思うのです。

サドベリーに来てからは罵りあったり喧嘩したりすることがほとんどないのです。

そうであったからこそ、それが『普通』だと感じていたのですが

その『普通』の違いを大きく感じることができる出来事でした。

友人たちの環境を悪く言うつもりはありませんが、

環境は人の価値観や視野に大きく影響を受けるものだと感じた瞬間でした。

みんな違ってみんな良い

友人たちの話を聞いていると、やっぱり自分とは違う部分に無意識に目がいってしまいます。

でもその違いを妬んだり、卑下することはないです。

環境や価値観もそうですが、例え友人でも結局は他者であり、違いがあって当然です。

逆に全員が全員、違いがなかったら人生の面白味がなくなると私は思います。

『みんな違ってみんな良い』この言葉が一番内容的には似合うでしょう。

先ほどの話で友人たちは罵り合いをしていたと書きました。

「罵り合い」とかいわゆる「マウントをとる」という行為は劣等感を持ち、

人と人とを比べてこそ出てくるものだと思います。

ですが結局は他者は他者であり、その他者に自分がなることはできないし、

比べたとして、たとえ優位でも優越感を得られるだけで、関係的なメリットはありません。

ならその違いをあっさりと認めた方がいいんじゃないかと私は思いました。

人と人の違いを比べて優劣をつけるよりも、

互いの違いを認め合って過ごした方がよっぽど気持ち的にも楽でしょうし、

お互いの長所がわかっていれば、それを応用して協力し合うことも可能です。

そうした方がずっと良いだろうな〜と思いながら喧嘩の様子を遠目で見ていました。

こういう考え方の違いとかも実際に価値観の違う人と関わらないとわからないもので、

「興味深いな~」と今一度感じました。

友達は選ぶべき?

友人一人とその友達が帰り、もう一人の友人と二人で話す場面がありました。

その友人は以前に私が書いた『協調性と同調性について』という記事の内容にある、

同調をしてばかりな人、におよそ当てはまるような人物でした。

そして、その友人は同調することが良いことではないと

自分でわかっていながらもその状況から抜け出せないという特徴を持っていました。

その友人は、主に学校の中の人間関係に問題を持っていて、

その状況から抜け出すことが困難だと言います。

こういう場合、一番確実な方法が環境を変えることだと私は思いますが

学校となるとそうもいかないんだろうと思い、一つ提案してみたのです。

「じゃあ人間関係を再構築する勢いで付き合う友達も選んだらどうか」と。

結局、全員が全員仲良くすることは無理でしょうし、苦手な人と無理に付き合うのは

大きなストレスの原因にもなると私は考えます。

なので、出来る限り付き合う友人は選んで苦手な人にはあまり関わらないようにしたらどうかと。

友人もこの提案には納得してくれたのですが、やっぱり学校となると結構難しいみたいです。

でも本人は無理のないようには頑張ってみると言っていました。

お互い、「やっぱり流されたりするのはよくはないけど楽ではあるよね」

みたいな話をしたり「友達は選んだ方がいいよね」なんて話して、お互い別方向に帰りました。

帰り際に私は、「やっぱり人間関係は人に多くの影響をもたらすものだ」と改めて感じました。

二年間会っていないからここまで差があるのかもしれませんが、

逆にこの二年間、ずっと一緒にいたらきっと私はいろんな面で今と違っていたでしょう。

そう考えると怖くもありますが、逆にそれほど環境は影響力のあるものだと考えさせてくれます。

まとめ

今回は、私が久しぶりに会う友人やその友達とで出掛けたときにあった出来事や、

その出来事のなかで思ったことなどを書かせていただきました。

以前の記事に書いた内容なども多く含まれていると思うので、

応用編のような感覚で温かい目で見ていただけるとありがたいです。

私自身この体験ではいわゆる「カルチャーショック」的なものを少し感じたりして

本当に環境が違うだけでここまでの違いがあるのかと驚きました。

ですのでこの記事では『環境の違いと価値観』の部分が私の中で一番ポイントかもしれません。

環境の話をするなら、やっぱり自分自身に一番合った環境を選ぶのが一番ですね。

それこそ私にはサドベリーが合っていたというわけです。

他二つの項目は、以前書いた『劣等感と個性』『協調性と同調性について』の

応用的内容になっていると思われます。

ですので純粋にその分野だけを扱った記事を読んでみたいということでしたら、

上記二つの記事を閲覧いただけると、内容的にはこの記事より深く掘り下げていると思います。

自分に合う環境選びには、いろんな選択肢をみることが大事だと思いますので、

この記事を見てくださっている方がサドベリー教育にご興味のある親御さんやお子さんであれば

サドベリーの見学などもご検討してみてください。

生徒より

※本文では、私の個人的な内容が多く含まれています。その点ご了承ください。

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