<生徒記事>正解のない時代に

はじめに

こんにちは、生徒です。

私は社会には、

1+1=2の式のような『決まった答えのある問題』と、

「人はなぜ殺してはいけないのか」のような『決まった答えのない問題』の、

大きく分けて2つの問題が存在していると思っています。

そして現代では、後者である『決まった答えのない問題』の方に

目が当てられてきているのではないかと思います。

例えば「自分がどういった人生を歩みたいのか」や、

「自分はどんなふうに生きたいのか」のような哲学的な問題は、

自分自身で答えを導き出し、行動にする過程でたくさんのものを得られ、

自分の思考、価値観を知ることができますし、自己確立を促進できると思います。

もちろん『決まった答えのある問題』でも答えを導き出すためのプロセスで

思考力や論理力その他にも諸々と得られるものはあると思いますが、

今回は『決まった答えのない問題』の方に注目したいと思います。

なぜかというと、サドベリーでは『決まった答えのない問題』だらけで、

『決まった答えのある問題』は、私はむしろ少ないように感じているからです。

そのため、サドベリーでは身近な『決まった答えのない問題』を題材に

サドベリーの生徒として学んだこと記事に活かせないかとこの記事を書いてみました。

本文

人は、何か問題に当たった時に答えを求める生き物ですよね。

そして人によって答えの求め方は多岐にわたると思います。

自分で考えて答えを出す、他の人に聞く、近年ではインターネットで調べるなど、

いろいろな答えの求め方があるわけですが、例としてあげたこちらの3つは

「どんな問題であるか」

で答えを求める際の使い勝手の良し悪しが決まると思います。

『決まった答えのある問題』、つまりは誰がやっても同じ答えになる問題では、

自分一人で答えを出すよりかは、他の人を頼ったりインターネットを使ったほうが

効率は上がりますし間違える可能性も軽減されると思います。

しかし『答えのない問題』、つまり人によって答えの違う問題では

他者の意見やインターネットは参考にはなるけれど答えにはならないと私は考えます。

誰かが「人のあり方とはこうである」と言ったとしても、それは「その人」の考え方であり、

その人の答えが自分自身に適合するかはわからないと思うからです。

ですので『答えのない問題』の1番の最適解を出す方法は、

自分自身で考え、自分なりの答えを出すことだと私は思っています。

(もちろん自分だけが正しいと思い込み、自己中心的にはならないように気をつけなければならず、

あくまで人と人は考え方が異なるけど、その上でも柔軟に答えを出すことも時には大切だと思います)

また「自分に自信がないから」または「自分の答えが見つからないから」などの理由で、

他者の考えや理論に頼り、自分の答えを出せずじまいになってしまうこともあると思います。

今は身近な人間関係にも、本やネットにも沢山の情報が溢れていますよね。

地位の高い人や頭が良いといわれる人が「こうである」と言っていたら、

「それが正しいのかもしれない」と深く考えずに答えを決めてしまうことも

人によってはよくある話だと思います。

私も実際、そういうことがないわけではありません。

ですがやはり1番大切なことは、出した答えが正しいか正しくないかではなく、

その答えを自分自身で考え導き出すことに意味があるのだと思います。

なぜなら自分で答えを出すことができず、他者の答えにばかりすがってしまうと、

自分がどんな意見を持っているのか無意識にも忘れてしまうから。

それに自分で答えを出すことに慣れてくれば、

たくさんのことに応用が効くので、生活する上でとても便利だと思います。

例えば自分がどう生きたいかなど考える際には、この考える力が必要ですよね。

慣れていれば慣れているほど広い考え方ができ、自分の答えに自信を持つことができると思います。

実は私は、以前は自分の答えを出すことや、意見を表明することが苦手でした。

しかし、だんだんと慣れてくることで、自分の考えをお伝えするこの記事を書くことができています。

自分で考えて答えを出すことって、とても大切なんだと思っています。

この正解のない時代において、他者に同調するのではなく、

自分の答えを出し行動する力こそが、必要になってきている。

私はそう思います。

生徒

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