【スタッフ教育コラム】世界中の子どもが自分の人生を歩んでいる景色

学校とはなにか

学校とはなんでしょう?

私たちは学校というものに通ってきました。今も通われている方もいらっしゃるでしょう。

でも、そもそも学校とはなんなのでしょうか

学校というのは、「何かを学ぶ」ためのところです。そしてその内容は、その学校の採用する教育方法や内容によって違います。

よく、東京サドベリースクールは「学校外の学び」や「オルタナティブ(代わりの)スクール」という括りで語られます。

狭い意味では日本の学校教育法第一条の学校ではありませんから、“学校”ではありません。

しかし前述したように、学校が学ぶ内容や教育について考え設計し、生徒や学生が学ぶ目的で入学し、学びを得ていく場所を本当の意味で学校というのであれば、私たちは“学校”です。ですので私たちは、東京サドベリー“スクール”と名乗っています。

公教育の学校と、東京サドベリースクールの違い

しかし、東京サドベリースクールは公教育のように学問をカリキュラムとして学ぶ設定ではありません。市民教育と人格形成を柱とし、権利と責任を通じて、生徒が自分で自分を育てる全日制の学校(スクール)です。 公教育は学問教育と人格形成が柱であるので、市民教育と学問教育が違いますね。

公教育は学問教育を教育の柱の1つとしており、国または地方公共団体の設定する10~15ほどの学問をカリキュラムという方法で生徒に教える方法を採用しています。こちらは皆さん馴染み深いと思います。

しかし東京サドベリースクールは、市民教育を教育の柱の1つとしています。その市民教育はアットホームな表現をするならば「自分のことは自分でする・みんなのことはみんなでする」という2つに分けられます。

<自分のことは自分でする>

自分のことであれば、大人が社会で自分で自由に自分の人生を決めて行動し責任も負うように、生徒が自分で自由に自分の活動を決めて行動し責任も取れるようにしています。

ですので、一般的に学校が決める教科のカリキュラムがなく、みんなで決めたルールなどを守りつつ、その日何をするのか何をしないのかを自分で決めて、自分で行動できるようにしています。

<みんなのことはみんなでする>

またみんなのことであれば、大人が自分たちの社会(それは家庭、会社、地域や国など大小問わず)のことについて決める権利と責任を持ちみんなのことをみんなで解決したりつくっていくように、生徒はスクールの一員として経営や人事、ルールづくりや司法などに1票の権利を持ち、みんなのことについて主体性と権利者として責任感を持った行動を学んでいきやすくなっています。

子ども時代に自分を育てる力を自ら育てること。そして自立した人として自分の関わる社会で自分らしく幸せに他者とも生きていく力が必要との観点から、このような教育の方法としています。

「この教育いいな」と思ってくださった親子が、東京都内だけでなく全国や、時には海外から引越しまでされて入学してくださっています。

現状は、子どもが教育を選べる社会になっていない

本来、教育や学校というのはもっと自由に選べる必要があると考えています。なぜなら、1人ひとりが、そもそも違う存在であるからです。

人は1人ひとり、全員顔が違いますね。兄弟姉妹であっても違う。性格も違う。興味を持つものも、得意なことも違う。今やりたいこと、将来やりたいことも人それぞれ違う。

なのになぜ、教育や学校をもっと自由に選べないのでしょうか。そして選んだ責任感も一緒に育てていく必要があるのではないかと考えています。

これらができていないことは、子どもにとっても、大人にとっても、そして社会にとっても損失です。

人は得意や強みや特性で勝負するとき本領を発揮しやすいのに、それを活かせる環境を選べないというのは、魚に山登りさせ、鳥に歩かせるようなものだからです。魚は水の中でこそ本領を発揮でき、鳥は空でこそ本領を発揮できる。それができないのが今の教育界の現状です。

さらには社会が、子どもが自分自身で自分を育てる権利と機会を剥奪してしまっているともいえます。これは現在の公教育そのものを批判しているわけでもありませんし、先人の功績を無下にしているのでもありません。一般的な学校や先生を批判しているのでも決してありません。

むしろ方法は違えども同じ教育の仲間として尊敬しています。ですから、きちんとそれぞれの教育を、子ども自身が選び、自ら学ぶ権利を大切にしていきたい。だからこそ、選んだ教育に責任感を持ちやすくなっていけます。

子どもが自ら選ぶ力、選んだことに責任を取る力を育てないのは、そういう大人に育てたいということにすらなってしまうと思っています。

重ねてお伝えしますが、現在の一般的な教育が悪いということは全くありません。むしろその教育をしたい子にとっては素晴らしい環境です。それはプロのバレエダンサーとになりたい子がバレエ学校に通うとの同じこと。

でも今の社会ではバレエ学校しかないことが問題なのです。たまたまバレエがしたい子はいいのですが、他の子たちもバレエを本当にしたいかというと、もちろんそんなことありませんね。アメフトがしたい子もいるでしょうし、絵を描くことをしたい子もいるでしょう。数学がおもしろいという子もいます。電車が好き、料理を極めたい、音楽をつくりたい子もいます。何がしたいかまだないから、したいことを見つけやすい学校に通ったっていいのです。そこで色々試し、自分を知り、自分を育てられたら立派な教育です。

保護者も不安になる

でも保護者の方も現状は教育が1つなので、その「一般的な学校の勉強をさせなくていいのだろうか」と迷う。そして、本当はその子自身はしたくないのに「サドベリーに通うかわりにこの勉強(国語や算数など)をしよう」と保護者の方が子どもに条件までつけて通わせないと不安になってしまうこともあります。

東京サドベリースクールでは子どもが自分で自分のすることやしないことを考えて、一歩を踏み出す経験の積み重ねを大切にしているのですが、保護者の方の不安からちぐはぐになってしまうのです。

でも保護者の皆さんも子どものためを思っていたり、社会の流れから外れてしまうのではないかというご自身の不安からそうなってしまうので、保護者の方が悪いというものでもないと思います。

これは公教育の学校でもそうですね。勉強しない子に親御さんはやきもきする。時には怒り、時には褒めて宿題をやらせようとしなければならない。

本来、子ども自身が本当にその教育や学校、育ち方が良くて合っていれば、本人が行動し責任も取っていくのです。まるで保護者の方がその学校に通っているような現状は、やはりちぐはぐなのです。


変えるべきは制度と意識

とはいえ今の日本は、「教育はこの1つだけ」という状況なので、子どもは自分の育て方や教育、もっといえば人生を選ぶことができません。

本当に子どものことを考え、社会のことを考えるなら、変えるのは各学校や各教育ではなく、その制度です。様々な教育や学校や育て方から、子ども自身が自分の進みたい道を選べるようにする必要があります。また選んだからには本人が責任を取っていく必要もあります。

そしてその制度を変えていけるのは、私たちの意識です。

今、多様な性の在り方や、生き方がクローズアップされていますが、でもそこに、子どもが教育を選ぶ権利は出てきません。なぜなら多くの人がそこに意識を向けてなく、結果行動に結びつきづらいからです。

「子どもに人権は必要か?」と聞かれたら、ほとんどの方が「必要だ」と答えるでしょう。でも子どもが自分を育てる道を選べないことに疑問を持つことは少ないと思います。

子どもの権利条約のように、子どもがより良い子ども時代を送れるよう、自分を育てる環境や教育を選べることに私たちが意識を変え、制度を変えていく必要があります。それは子どもの個性や能力を伸ばすことにつながります。

だからまずは、大人が様々な教育の学校や育ち方を知り、意識を変えていきませんか。そして子どもに伝え、子どもが自分の育て方を自分で選んでいけるようにしていきましょう。自分の不安からではなく、子どもの本当の声を聞きましょう。

世界中の子どもが自分の人生を歩んでいる景色を、一緒に見ませんか?

本当に子どもが自由に教育や学校、育て方を選べる社会は世界にまだありません。

日本から世界に先駆けてできれば、世界中の子どもが自分の人生を歩める一歩になります。それができたらと思うと、わくわくしませんか?一緒にやりませんか?

そのための子どもの選択肢の1つとしても、わたしは東京サドベリースクールを続けていきたいと思い、行動しています。

スタッフ:杉山

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