<スタッフ教育記事>究極の主権者教育実践校として

主権者教育というのは現代教育界のキーワードの1つですが、公教育(公立という意味では無く)ではない東京サドベリースクールには関係のない言葉でしょうか?

いえ、むしろ主権者教育ということに関して、どの教育よりも生徒は多くの実践ができます。それはなぜか?

なぜなら東京サドベリースクールという社会の中で、生徒にはあらゆることに1票の権利が与えられているからです。

私たちは生徒に今後、家庭から世界まで、あらゆる規模の社会の一員として、自立した人として生きてほしいと思っています。そのため、生徒も1票を持ち、権利と責任を学べる市民教育を実践しています。

また同時に、自分の人生を自分で決めることもしてほしいと願っています。

でも今回は、主に一般的な主権者教育という意味の、社会の一員としてのお話をします。

生徒も、スクールの司法、立法、行政、人事すべてに決定権がある

東京サドベリースクールでは、国でいえば司法、立法、行政、そして人事についてまで、本当に生徒一人ひとりにも1票があります。この1票というのは決定権があるということです。ここが様々な教育と全く違う点です。どれか1つや一部で、生徒も会議に参加できる権利がある学校はあります。その中には実際に限られた範囲であっても決定権が与えられているところもあります。

しかし、これらすべてに、生徒全員が1票を持てるということは通常ありません。なぜなら、教育の枝葉として主権者教育があっても、幹として置かれていないからです。しかし東京サドベリースクールは、生徒が社会の一員として生きていくために、あらゆることに主権者としての経験ができるようにしています。それを総合して表現しているのが市民教育です。

本校には司法にあたるルールミーティングというものがあります。

ルールは国でいえば法律にあたるもの。ルールミーティングではそのルールに違反していた可能性のあることについて話し合われ、結論が決められます。誰がいつ、どのようなルールに違反していた可能性があるのか。違反していたのであればそれはなぜか。目撃者や参考人はいるのか。ルール違反についてのペナルティは必要か。次からルール違反しないようにはどうすればいいと思うか。時にはルール違反ではないという結論になることもあります。こういったことにも、生徒にも1票の権利が与えられています。

また、立法はスクールミーティングという話し合いで行われます。

こちらで現ルールに新しくルールを追加することもあれば、変更することもあり、時には現在のスクールに合わないルールを無くすこともあります。最近ルール自体を無くす学校もあるようですが、私たちはルールはめんどくさいものではなく、多くの人と共に少数の人も、気持ちよく同じ環境で過ごすための工夫であると考えています。最近ルールメイキングという言葉が流行っていますが、本校では14年前からずっと生徒がスクール内で実際の拘束力さえ持つルールメイキングを行っています。

行政は経営ミーティングという場で行われ、スクール経営について話し合い、決定し、実行し、見直すことを行っています。

スクールの黒字も赤字も自分たちの責任です。この内容の一般的なものは会社であれば取締役会が行いますし、最も大きなものが国の歳入歳出であり、自分たちの組織や社会に責任を持つこととなります。スクールでは目標シートという、年度内で実行する重点項目を決めて進捗を確認したり、いかにスクールをより良くするかといったこと、またマーケティングについても話し合います。マーケティングというと商売の感じがして嫌と思われるかもしれませんが、マーケティングは「自分の強みを見つけ、広め、必要な人に届ける一連の活動」です。本校の強みや良さを必要としている方に届けることは、その方のためにも、自分たちのためにも大切なことだと生徒と実施しています。この経験をたくさんした生徒は、自分の強みやそれが活きる環境についても考えられるようになっていきます。

また、自分たちのコミュニティーであるスクールで働くスタッフを採用するのも、現スタッフ一人ひとりを次年度も採用するかも話し合い決めています。入学希望者の入学許可についての話し合いも、在籍生徒の次年度在籍についての話し合いも、卒業希望者を卒業生として認定するのかも、生徒にも一人一票が与えられています。そのような話し合いの中で、スタッフは主権者たる自分たちにはそれだけの責任があることも伝え続け、また自ら実践しています。

疑問1

ここまで生徒にも、自分たちの社会であるスクールについて決める権利のある本校ですが、

「生徒がそこまで決められるのか?」

というご質問を時々いただきます。

決めることが得意な人、苦手な人というのは大人、子ども限らずタイプとしていますが、それでも自分の人生をつくっていくには決めることが必要です。

むしろ決めること、責任を取ることをしてこなかった子は、決めることや責任を取ることが難しい大人になります。それは決める、責任を取ることをしてこなかったから当然なのですが、案外ここは気づきづらいもの。

決める経験を決められる人になるには、決める経験を沢山する必要があります。そのためには、実際に物事を決めて、その責任を負う環境が必要なのです。

医者になるには、医師免許を取得すると医者になれますね。しかし、最初のうちは経験が少ない。そのため、様々な経験を積み、だんだんとよりレベルの高い医者になっていきます。

それと同じで、生徒はスクールに入学する段階で、自分で「ここに入るんだ。必要なことはする」と決める必要がああります。そして入学してからも、今日何をするかから、次年度のスクール予算決めまで、様々な決める経験を通して、だんだんと多くのことを決められるようになっていくのです。そしてその結果に責任を負うことも経験できるようになっていきます。

だから東京サドベリースクールでは、自分のこともみんなのことも、答えのないことに答えをつくる環境がたくさんあるのです。答えのあることに素早くたどり着く能力のある子はたくさんいますが、答えのないことに答えをつくっていく経験をしている子は多くありません。これは働くうえでも、自分の人生をつくるうえでも大きなアドバンテージになります。もう答えのあることに素早くたどり着くことは、機械には勝てないのですから。

私たちスタッフは、生徒に自分のこともみんなのことも決められる大人になってほしいので、あえて自分たちスタッフの次年度の雇用を不安定にしてでも、このような教育の形にしています。

疑問2

「子どもに責任を取らせるなんて、かわいそうでは?」

というご質問もいただきます。しかしそれも、責任の取れない大人になってしまうかもしれません。結果に向き合う時、人は成長できます。野球の試合で勝ち負けがなければ、何が有効だったか、何を変えなければならないかわかりません。

人に決めてもらった結果に責任を負うと本当に自分で決めていればいいのですが(自分で決めていますから)、多くの場合は、人に決められた人や、何も考えず流れにのってきた(私が気づいたら小学校に入学していたように)人はうまくいかないことがあると、先生のせい、友達のせい、教育のせい、親のせい、パートナーのせい、上司のせい、部下のせい、政治家のせい、社会のせいと、誰かや何かのせいにしたくなります。

私たち人間はいくらでも誰かや何かのせいにできますが、誰かや何かのせいにしているうちは、誰かに指を向け続けていれば自分に向き合わなくていいので、指を自分に向けて自分に向き合わずにすみます。

もちろん、誰かや何かのせいにして生きてもいいのです。そういう生き方もありますし、その人の人生なので、誰が何を言う権利も責任もありません。

しかし、本当に自分の人生を生きる時、人は自分に向き合わざるを得ませんし、自分に向き合わずに自分の人生を生きようとするのは都合がよすぎます。

本当の主権者教育とは、社会と人生の主権者であることを経験すること

私たちの主権者教育というのは、お伝えしてきた自分の周りのこともそうですが、自分の人生の主権者であるという意味も含まれています。

主権者とはある意味では孤独な存在です。必ず最後は自分で決めるしかないからです。しかしその孤独をしっかりと抱きしめ、立っていられる人が自立した人なのです。これは学問のテストで高得点を得ることではなく、生き方の話しなのです。

生徒には、できれば社会を自分もつくっている一員としての主権者であり、 自分の人生の主権者として生きてほしいと思います。たった一度の人生なのですから。

スタッフ:杉山

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