<生徒投稿>なぜ学校に通わねばならないのだろう?
こんにちは皆さん、入学して1年半になる生徒です。
改めまして皆様、ページの閲覧、また、たくさんのご支援ありがとうございます。
年度の初め頃にクラウドファンディング実施の案についてみんなで話し合っていた頃は、
これほどまでに応援頂けるとは思ってもみませんでした。
ネクストゴールを設けてから、新たなゴールができましたが、
思い変わらずみんなで頑張っていけたらと思います。
私は公立小学校に6年間通い卒業した身ですが、
サドベリーに通い出す前は、学校に通う意味や確固たる理由を、自分の中に持っていませんでした。
逆に「なぜ学校に通わねばならないのだろう」と考えることもあり、
自身の中で納得感のないまま、なかば”行かされている”という認識で公立校に通っていました。
もちろん、そんな理由で通った学校でも学んだことはいっぱいあります。
日常で使う学問的な知識のほか、人との触れ合いの中で得た学びなど多岐にわたり、
とても色々な経験を積めた6年間でした。
しかし同時に、もっと早くから自分と向き合い、考えることができていたら、学びをもっと有意義かつ、
善きことに使えていたのではないかと、考えることがあるというのが正直なところです。
先に書いた通り、私は納得感のないまま”行かされている”という認識で公立校に通っていました。
つまりその時点で自分と向き合えておらず、自分で選択することもしなかったのです。
(その他の選択肢を知らなかったという部分もありますが、ここでは割愛します)
自分と向き合えていかなかった結果、
当時は何か不満があった際は誰かのせいにしたり、ひどい時は八つ当たりをするようなこともあり、
振り返れば精神的未熟さが目立ちます。
その詳細を書くと長くなってしまうのですが、ご興味おありでしたらフロイトが提唱した欲求不満の解消における近道反応と防衛機制を参考にすると分かりやすいかなと思います。
精神的な面ももちろんですが、学校での授業態度も良いものとは言い難かったです。
問題を起こすようなことはせず大人しかったのですが、
どうしたら楽に体感時間を早められるかばかり考えていた記憶があります。
ここでお伝えしたいのは、自分と向き合い自分で選択し、その過程、結果に納得していることは、
学びを積む上での大きな土台として役立ち、
得た学びを最大限有意義に、そして善く使うことができるであろうということです。
土台が不安定な状況で学びを積んでいれば、どこかで歪みを生むか、定着しない。
まだ未熟な10代の経験論ですが、サドベリーで学ぶにあたって非常に実感を得た学びの一つです。
その上で、自分と向き合うために一番大切なのは、適した環境、教育であると私は考えています。
それが公教育なのか、サドベリーなのか、もっと別の教育なのか、それは人それぞれで正解がありません。
人それぞれ自分に合った環境や教育の場で学べ、自己実現を促進し達成できるような社会の実現を目指すため、
私はいろいろな教育の選択肢があることを、たくさんの人に知ってもらいたいと思っています。
その過程で一人でも多くの人が、自分に合った教育を選ぶことができれば幸甚です。
長くなってしまいましたが皆様、ここまで読んでいただきありがとうございます。
このクラウドファンディングプロジェクトも、いよいよ大詰めに近づいております。
長くスクールを存続できるよう皆で頑張っていきますので、応援よろしくお願いします。
(生徒)