【スタッフ教育コラム】子どもの人生は子どものもの(大人と子ども編)
私たちは大人は、自分のことを差し置いて、どうしても子どもの人生に口を出したくなってしまうものですね。
「こうしたらどう?」
「いつになったらやるの?」
それが職場の人などパブリックな関係の大人同士であればまだ気を使うのに、プライベートな恋人や家族には遠慮なく感情を出してしまうことがあります。それが子どもであればなおさら。
さらには子どもが、その大人にとっての価値観と違うことをしていても、価値観に沿うことをしていても、どちらにしても口を出したくなってしまう。
「宿題した?ゲームはもう終わりだよ」とか「算数やってるの?いいね、これもやったら?」と。
しかし子どもは大人の所有物ではありませんよね。1人の人間です。
もちろん、親であれば成人するまで保護し育てる責任がありますし、教育者であれば生徒の学びや成長のためにサポートするという事実は変わりません。
でも同時に、目の前の子どもは1人の人間として存在しています。であれば、1人の人として尊重することは当たり前のことであるはず。
でもこの当たり前のことも、特に親子であればどうしても親しい間柄ゆえの相手への甘えや、自身への不安からコントロールしたくなったり、自分の延長のように考えがちになってしまいます。
そしてそれは、子どもの側も同じです。大人とは違った手段で大人相手に甘えたり、コントロールしようとしてしまう。
もちろん、成長途中の子ども段階ではありますが、他者への尊重は子ども時代であろうと、大人の年齢であろうと、1人の人であり他者と一緒に生きている以上、大事にする必要があること。それは人は人と生きているからですし、社会を共に生きていくうえでできるだけ皆が心地良く生きるために大切だと考えるからです。
こちらを読んでいるのは大人年齢の方が多いと思いますが、大人の人は、1人の人として、子どもがどのように生きるのかを子ども自身にゆだねてみる選択をしてみるのはいかがでしょうか。
もちろん、ちょっと長く生きてきた人間としてアドバイスや話しをすることはあってもいいと思います。でもどんな選択肢を決定するのはその子本人の人生ですから、子ども自身が決めることを大切にしてあげてほしいのです。
しかし注意していただきたいのは、だからといって子どもが社会的な法律やマナーを無視して好き勝手していいわけではないし、自分や誰かを傷つけていいわけではないということです。本当の自由と、自分勝手は違いますね。そういうことは伝えてください。
子どもにどうなってもらいたいですか?
あまりそういう方はいないかと思いますが、「子どもが自分で気づき考え決めたりせず、自分の意見を持たず行動せず、責任を取れないようにしたい」とします。であれば、大人が一方的にあれこれ指示して子どもが自分で気づいたり考えたりする時間も環境も与えず、本人に関わることも一応聞くけど結局は大人が誘導して本人に決めさせず、大人が先回りしてやってあげて行動や責任を取れないようにすれば、その通りになります。
大人が決めたことを、子ども自身の意思に関係なくベルトコンベアー式にやらせ続ける手段もいいでしょう。
でも「子ども自身が自ら気づき考え決められて、自分の意見を持ち、行動して責任を持つ自立して生きていける」選択肢もあります。
であれば、子どもに自分で責任を取らせてあげられるようにする。子どもがその環境からどうするかは本人に任せ、大人側はそういうことができる環境をつくっていくことに専念することが、その子の代わりにその子の人生を生きることができない大人としてできることです。
もちろん、あれこれ口を出したくなるでしょう。すぐにはできないかもしれません。綺麗事だと思うかもしれません。
でも「子どもは決められない」と考えるのであれば、きっと大人が色々と指示してやらせることになります。そうすれば、そのまま決められない大人に育ちやすくなります。
「子どもも決められる」と考えるのであれば、きっと大人は子どもにも意見を聞いたり、子ども自身が気づいたり考え行動できるように環境をつくっていけるでしょう。そうすれば決められる大人になりやすいですよね。
子どもの人生は子どものものです。
大人、特に親御さんは色々と心配したくなると思いますが、子どもも自分の人生をつくっていけると信じてみましょう。
心配は時にあっていいと思いますが、その下の土台は信頼で固めていきましょう。
そう考えることはすぐには難しくとも、少しずつでも変わっていけばいいと思います。その小さな積み重ねがきっと、大きな変化になっていきます。
杉山まさる