【スタッフ教育コラム】自由との遭遇

TSSに入学した多くの生徒は最初に
「これまで本当はやりたかったけど、できなかったこと」
をしまくります。それらの多くは
「ゲーム、動画、お菓子」
などです。大人が制限したいものばかりですね。でも子どもや若者が好きなものとは、そんなものではないでしょうか。

以前在籍していた女子生徒は、入学するまで家ではジャンクフードを食べてこなかったそう。しかしご家庭でも入学を期にサドベリーらしく色々話し合い、ジャンクフードが解禁になったそうです。

そこからの彼女のジャンクっぷりはすごく、毎朝コンビニでフライドチキンと袋にいっぱいのお菓子を買ってきて、スクールに着いたら食べることが日課になっていました。
また別の生徒はひたすらゲームをしまくり、別の生徒は動画を1日中ずっと観ていました。
その様子は、「心静かにでも楽しんでいる」というよりも、ちょっと「必死さ」すらあるほどです。もしくは、「何かを取り戻している」と言ってもいいでしょうか。

以前、日本でも有数の有名私立大学でサドベリー教育の講義をさせていただいた際に、ある学生の方が「実はわたし、それを大学に入ってやっているんです。家でずっとゲームを禁止されてきて、その反動が大学に入って出ていて。。」と話されていました。
やりたかったことを制限されてきたら、自由になったとたんに自分でそれを制御できないのは当たり前のこと。
それはまさに、一人暮らしを始めたばかりの大学生が、急に自由になって羽目を外したかのような感じなのです。

しかしおもしろいもので、そんな生徒たちも次第に落ち着いてきます。
お菓子を食べている姿を見る回数が減ったり、あれだけゲームしまくっていたのにパタリとやらなくなったり。少しずつ、自分に自覚的になり自己管理をし始めていくのです。

特にその後、自ら様々な活動をしていき、自身が本当に興味を持つものに出会った生徒は顕著です。もちろんその後もお菓子を食べたり、ゲームをしたり、動画も観ます。
でもそれも友達との交流の際にお菓子を一緒に食べたり、気晴らしや趣味としてゲームを楽しんだり、楽しみや興味のある分野の知識を得るために動画を観たりと、より主体的になっていくのです。あれだけずっとゲームしていた生徒が「なんで私はそんなにやっていのかな」と言うことすらあるのです。

しかし「じゃあいつか子どもがゲームや動画やお菓子はやめるから期待しよう」と思うとそれもまた違うのが難しいところ。
別にゲームも動画もお菓子も、悪いものではありません。要は本人の関わり方なのです。
大人のお酒や趣味と同じ。程度や自覚の問題で、健康的につきあっていくのであれば、それは人によっては人生に彩を与えてくれるもの。
また一般的な勉強や仕事に関わらなくとも、本人の人生に深く根差しているのであればよいものです。漫画家が漫画をずっと描いているように、将棋の棋士が「将棋ばかりして」とは言われないように。

話しを戻すと、このように自由との遭遇を果たした生徒は、まず最初にその自由を泳ぐことに慣れていないのでのまれる傾向があります。
しかしだからこそ、少しずつその自由の海を泳ぐすべを得てもいくのです。

そして段々と落ち着いていくもので、そこから次のステップである「自己との遭遇」に進んでいきます。でもそれは、またの機会に。

スタッフ:杉山

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