自分の答えをつくる経験を積み重ねよう

私たちは、毎日たくさんのことを決めています。
ケンブリッジ大学のバーバラ・サハキアン教授の研究によると、人は1日に最大で3万5000回もの決断を下しているとのこと。
でも、何かを決める時にいつも正解があるとは限らず、むしろ大事なことになればなるほど正しい解答がないこともあります。であるなら、答えはどのように導き出せばいいのでしょうか。
今回は、答えのないことに答えをつくる経験を、サドベリーでどのようにしているのかをお伝えします。

答えがないものの種類

正解というのはすでに決まった解答があるもので、それに沿っていれば正解で、沿っていなければ不正解となります。
でも生きていると、明確に正解がわかるものばかりではありませんね。むしろ、答えは自分でつくっていくもの。その答え合わせも自分でしていくものだと思います。
何にでも正解があると思うこと、そして間違いを恐れてしまうのは、私たちがテストやクイズ番組で、正解・不正解というものに慣れすぎているからかもしれません。

では、答えがないものには何があるのでしょう。皆さんは何が思い浮かびますか?

最初は個人のことが思い浮かびますね。
「自分がどう生きるのか」「この人生で何がしたいのか」「どんな仕事をするか」「自分に合った健康法は?」「どのくらいの収入が欲しくて、どのくらい使いたいのか」「あの人との関係をどうするか」「この人と結婚するかどうか」といったもの。
これはたくさん思いつきます。

また「子どもの教育費」「親の介護」「相続はどうする」といった家族のことや、「私たちは今後どのようになりたいか」という組織の方向性、「地域の過疎化をどうするのか」といった地域社会のこともありますね。

「世界の環境問題をどうするか」という世界規模のことまで、大事なことには答えがないものばかりです。

「壁」という通過儀礼

ところで、自分の人生を主体的に生きたいと思うと、多くの人が「壁」にぶつかります。
それは、「自分とは誰か?」また「何をしたいのか、何をすべきなのか」といったもの。


哲学の父といわれる古代ギリシャの哲学者ソクラテスは、「汝自身を知れ」という言葉を
「己の無知を自覚し、自らを育てよ」と人生の標語にしていたほど、自分を知ることを追求していたようです。
しかし、自分を知るというのは難しいものですよね。東京サドベリースクールの生徒でも時々、「やりたいことがわからない」という生徒がいます。

これは「誰かに決められた人生は嫌だ。自分の人生を生きたい」と思った次に現れる壁です。
つまり一種の通過儀礼のようなもの。

サドベリーの生徒であれば、「前からやってみたかったあれをやってみよう」と、様々なことを始める生徒たちがいます。
一方、「あまり興味がないけどやっておいた方がいい」と思い、一般的な学校の教科の勉強を始めたりします。
大人であれば、「英語をやっておいた方がいい」とかでしょうか。

でもそういう時は「本当にやりたい」とか、「本当に必要だ」と思っていないことも多く、そのため続かないことも多いものです。
心と頭と体が一致していないのですね。一致しているとスッと動けます。

そのような時どうすればいいのでしょう。
2パターンあります。

壁の超え方

1つ目は、まずは自分に問いかけ、自分の心の声を聞き、体の感覚を感じ、考えるというもの。
「こういうことをやってみたい」といった気持ちに、まずは耳を傾けてみましょう。
そしてその時に体の感覚が軽くなるのか重くなるのか、ヤル気が出るのか出ないのか感じ取ってみましょう。
さらには理性も使って、どういうところに興味を引かれているのだろうとか、何が引っかかっているのだろうと考えてみます。
そして、ちょっとずつ行動してみるのです。そのようにして色々な経験をしながら、自分にとっての答えをつくっていく方法があります。

2つ目は逆で、とにかく動き始めてみるというもの。
スモールステップで色々なことに小さな一歩を踏み出してみて、その時に出てきた気持ちや体の感覚、
やってみたことの何が自分に合っていて、何が合っていないかなど、分析してみるというものです。
さらにそれらをもとに、またちょっとずつ動いてみる。

どちらに合うかはそれぞれですし、またどちらが正解というものはありません。
お気づきのようにこれらはスタートが違うだけで、同じことを繰り返しています。
そしてもちろん、こちら以外のやり方で自分に合うやり方もあるはずです。

答えをつくるための手段が一つである必要はありません。
山の頂上に登りたいなら、どの道を通っても最後に山頂に着ければよく、大事なのはその道をつくれるかどうか。
自分で自分の答えをつくる経験をしてきて人は、道をたくさん想定して、その時の自分に合った道を選びやすくなります。

答えは自分でつくるもの、自分達でつくるもの

そして答えをつくる作業、答え合わせをする作業は一生続きます。
であるならば、その経験を子ども時代からする必要があると考えています。

サドベリーで自分に向き合ってきた生徒は、答えのないことに自分で答えをつくりだす経験をたくさんしています。
真に自由でありたいなら、たくさんのことを自分で決める必要があります。
もちろん誰かに決めてもらう方がラクかもしれません。
決めるという事はとても疲れる作業ですから、1日に決めることのできる量にも限界があります。

アップル創業者のスティーブジョブスが、決める質と回数を大切にするために、
同じ服を沢山所有し毎日着る服を一緒にしていたことは有名な話しですが、
それくらい何かを決めるということは貴重で大変なものですよね。

それでも人は、誰かに決められた不自由より、自分で決められる自由を求めてきました。人類の歴史は自由の獲得の歴史でもあります。
だからこそ、人は決める力を持っています。それは、有史以来答えのない世界を生きてきた先人たちの知恵と経験でもあります。

決める力は元々備わっている

私は決める力は好奇心と同じように、人にもともと備わっているものだと考えています。
ですからもちろん、子どもにも同じように備わっています。

「子どもは自分で決められない」と思いますか?
いえいえ、子どもは公園で遊びたい遊具を自分で選べます。食べたいものも自分で選べます。
付き合いたい友達も、休日に何をするかも、やりたいスポーツも自分で選べる。
大人にとっては決めた対象を承認できないだけで、子どもは本当に色々なことを決めているものです。

なにより、子ども時代に決める経験をしてこなければ、将来決められない大人になってしまうかもしれません。
周りの大人が決めていれば、子どもは自分で決めなくていいのですから。

時々親子でスクールに見学に来られて、スタッフが子どもに質問している時に、先に親御さんが答えてしまうことがあります。
そのように、いつも先に親御さんが答えていたら、子どもは答えなくていいと思うものです。
そしてその親御さんの相談が、「うちの子はあまりしゃべらないんですけど・・」というものだったりするのです。
自分を知ることは、とても難しいですね。

同じように、大人が決めてあげていたら、もしくはいつの間にか決められていて本人が決めた感覚を持っていないとしたら、
決められる大人に育つのはやはり難しくなってしまいます。

ですので本校のスタッフは、あえて生徒個人の時間の使い方を決めません。本人が決めて、本人が責任を取る。決める権利と結果の責任をセットにしています。
だからこそ、たくさん答えのないことに答えをつくる経験ができます。
これは生徒を信じて、生徒に任せることができないと、とても難しいことです。

放任ではありません。自分のことを自分で決めていけると信じて任せるということです。
放任と任せるの違いは、同じように何もしていないように見えても、心を寄せているかどうかです。

ではサドベリーでは、どのよう分野で自分で決めていく、答えをつくる経験がしやすいのでしょうか。
それは大きく分けて「個人のこと」と「社会のこと」に分かれます。

個人のこと

「個人のこと」であれば、前述したように生徒は自由に時間を使えます。
例えば「この3つのプログラムの中から自由に選ぶ」といった自由ではなく、本当に自由に時間を使うことができます。
ルールや法律を守ることと、自分で決めて責任を取るのであれば、したいことをしてもいいし、必要なことをしてもいい。あえてしたくないことをしてみる生徒もいます。
ダラダラ過ごしてもいい(周りにはダラダラに見えても、本人には必要なこともあります)。
つまり生徒には、個人の責任において自由に時間を使える権利があります。
それはより広い社会に出ていくのための準備でもあり、また本気の子ども時代を生きるということでもあります。

社会のこと

また「社会のこと」であれば、生徒にも、自分たちの属する社会である学校(本校)の予算決めや校則づくりはもちろん、
校則違反への裁判、スタッフを来年も雇うのかにまで、本物の1票があります。
これを市民教育と呼んだり、シチズンシップ教育と呼びますが、大事なことは、模擬ではないということです。ですから本物の結論となり、本当に決めることができるのです。
そして私は生徒に「決める権利というのは大きな力なのだから、力を持つ者の思いやりと責任感を持って決めよう」と伝えています。
1票を投じて決め、その結果にも責任を持つ。スクールが黒字でも赤字でも、それはスタッフだけではなく、1票を持つ生徒にも責任があります。
国民が選挙で国の行方を決め責任を取るように、これも決める権利を持つ者の責任なのです。だから本校の教育を市民教育と呼んでいます。

おわりに

権利や責任というと、硬いイメージとなってしまいますが、私たちは生徒に意識的に様々なことを自分で決めて、人生と社会を豊かに生きてほしいと願っています。
そのための教育の柱が、「権利と責任」であり、自分のことにも自分達の社会のことにも、自ら答えをつくる経験が大切だと考えています。

答えをつくる経験は、決められる権利を行使し、結果に責任を持つことの積み重ねです。
それは葛藤と成長の連続になるかもしれませんが、確実に“人生を決める力”を伸ばすことになります。

生徒がそれを実感しやすいのは、18歳以降の大学や社会で働き出してからだと思いますが、
生徒の皆さんは、ぜひ上手にサドベリーをいい意味で”使って”もらって、自分の答えをつくる経験をたくさんしてもらえたらと思っています。

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