written by student

サドベリーではやりたいことをすることができます。
絵を描くもよし、ゲームをするもよし、本を読むも、ギターを弾くもよし。
そしてその都度やらなきゃいけないこともこなす。

私もやりたいことをやりながらやるべきことを同時進行で行っています。
そしてそれは充実を超えて忙しいぐらいに。
ですが、そんな私もサドベリーに入る前は、『子供の頃は学校に行って勉強する。それが当たり前で
それ以外に道はない』。
そんな考えを持ち、正直にいえばやりたくないことに日々追われていました。

ではやりたいことだけやっていればいいのか、それはまた一概には言えませんが、それも含めて本文では、私個人の経験をもとに『やりたいこと』について私なりの見解・意見をお伝えしたいと思います。

本文はあくまで私の意見です。その点ご了承ください。

人生は一度きり

人生は一度しかなく、生前の能力を持ったまま生き返ることはできませんし、過去に戻ることもできません。
それはゲームの中だけです。

私は時間とは、ある意味では残酷なものだと思っています。誰にも平等に与えられるものではない。
十年後または一年後、もしかしたら明日死んでしまうかもしれない。

やりたいことを先延ばしにして我慢し続けた挙句に、不慮の事故で亡くなることもある。
でもそれって私は嫌だなと思うのです。少なくとも今日という日は今日しかないわけです。

どんどんと時間は過ぎ、歳をとって、考え方ややることも変わってくるもの。
であれば、今やりたいことを存分にやったほうが後悔はないのでは?と私は考えたわけです。
もちろん、やらないと後悔するものがあるという考え方もあります。それは人によりますが、例えばある勉強をしなかったことで後悔するとか。

ですが極論になってしまいますが、どのような選択をしても最後は自己責任です。
将来の保険として何か行動を起こすも、将来を考えず今を存分に楽しむのも、結局その行動がこの先どう転ぶかは本人次第だし、誰も未来を的中させることなどできない。

だからこそ、自分のやりたいようにやればいいのではないかと私は考えたわけです。
何かの勉強をしたっていいし、ゲームをしたっていい。自分の好きなように今この時を生きていく。その行動に後悔が残るかを深く考えすぎても、行動自体も起せなくなっていくかもしれません。

時間は、私がこの文章を書いている時も、皆さんがこの文を読んでくださっている時も、刻々と過ぎています。
だから私は「時間を大切にしろだなんて大げさなことは言いません。
ただこの限られた時間の中で、したいことをして、後悔のないようにする。それが一番だと私は思うのです。

行動の結果は自己責任

先ほどもお伝えしたように、どの行動を選ぶのかは本人次第で自己責任。
自分の未来を誰も決められないように、その結果に責任を持つのは誰でもなく自分自身。

その上で何をするのかを自分で考え、好きなことをするも未来への投資をするも、行動は自由だと思います。その結果がどう転ぶかは自分次第というだけ。

私もやりたいことがやれる環境だからといって、ずっとやりたいことだけをしているわけではありません。
将来のために必要かもしれないからと英語を学んだり、統計論に学びを得たいと思うときは論文を読むことも多いです。

私自身も将来に不安がないわけじゃないですからね。
ですが、やりたいことをやろうと、必要だと言われることをやろうと、自分の中で不安感の度合いは同じだと思うのです。

私自身、公立の学校で勉強していても、サドベリースクールで好きなことをしていても、どちらにしろ将来なんてわからないので、正直にいえば不安感に差はありません。
ただ、私の場合はその不安を前向きな行動に変えて自分を知ることにしているので、結果的には不安もポジティブに捉えられています。

行動の結果はわからない、でもその結果は自己責任。
やりたいことの選択って難しいものですね。

私自身こう書いていても、将来はわからないのでそこまで難しくは考えていません。
ですが自分の未来をどう考えるか、日々考え事をしたりしながらも、サドベリーでは楽しくやってます。
時間をどう使うのか、その選択はどう自分に影響するのか。
そういうことを意識することが必要なのかもしれません。

そうしたうえで、自分がどうしたいのか考え、行動を起こせることが私は一番良いことだと思います。

選択するための視野

人生は一度きり、そして行動は自己責任。
私はサドベリーに来て慣れましたが、聴き慣れない方ですと重い話に聞こえるかもしれませんね。

では、自分のやりたいことがわからない人はどうすればいいのか。
もしくは、自分のことを自分で決める為の視野に自信のない方はどう選択をすればいいのか。
そういう部分に触れていきます。

私も以前、自分のやりたいことがわかりませんでした。
ですので将来の夢も答えづらかった。

私の場合は、今も一貫して何か一つのことをやるということは少なく、その時その時でやりたいことをいろいろ試しにして(かじって)みたり、昔苦手だったことが今はどうか確かめたりしています。
趣味などは持続してやっています。

やりたいことが見つからない場合は、何か興味が湧いたものをまずは浅く広くかじってみるのが一番だと思います。

私も以前、パソコンはどんな部品からできているのかに興味を持ち、調べ始めました。実際にデスクトップパソコンを自作したのは私の中でいい思い出です。

そのような感じで、将来どうこう考えず、目の前のことに集中してみるとやりたいことは見つかりやすいのかもしれません。

次に視野のお話ですが、確かに歳が若ければ若いほど「自分で自分のことを決められる視野が備わっていないんじゃないか
というような疑問があるように、視野が狭いことを不安に感じる方もいるかもしれません。

参考になるのかは分かりませんが、今は情報社会なので知りたい情報はインターネットを駆使すれば簡単に色々と手に入れることができます。

私もやりたいことが見つからなかった時など、『趣味』一覧と調べて、上から順に出来る限り浅く触れてみたりしました。上記のパソコン自作も、インターネットの知識だけで調べに調べて約3ヵ月程で完成させました。

もちろん周りの人にどのような選択肢があるのか、聞いてみるのも簡単な手です。
この場合、相手から情報を一方的に与えられるのではなく、自分から聞く力がここでは重視されると思います。

相手から情報がいつでもどこでも流れてくるわけではないですし、あくまで自分のことを決めるのは自分なので、与えられたものだけに注視するのはあまり良くないことかと(あくまで私の意見です)。

自分に合った方法で色々な選択肢を知り、その中で実際に行動に起こしてみる。
将来のことを考えてもみるけど考えすぎなよう、プレッシャーやストレスにならないような形でやってみるといいかと思います。

まとめ

10代の私がいうのもなんですが、何かしら人生で迷うことやわからなくなることは、誰にでもあると思います。

今回はやりたいことについてお書きしましたが、芸術家の岡本太郎さんは『あえて危険な道に賭けろ、それが自分の本当に歩みたい道だからだ』という言葉を残されています。
私はその言葉に影響を受けているかもしれません。

どんな風に生きたいか、どんな人生を歩みたいか。
考える時間はたくさんあります。

深く考えず、楽観的に過ごすのもいいと思いますし、いろんなものをかじって自分の本当にやりたいことを探すものいい。将来なりたいもののために、学んだり、目標を立てるもよし。

教育にも、生き方にも多様性のある時代です。
今までの時代で通っていた常識も簡単に非常識になりえます。
何度もお伝えしていますが将来なんて本当に誰もわからない。

その上で、自分の生きたいように生きる。やりたいようにやる。
私はそれが一番だと思います。

きっとこの考えが、私のやりたいことをやる理由です。

Columns