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本日はサドベリーに得る学びを生徒の立場から、『時間編』『ルール編』としてお伝えしたいと思います。

サドベリーの教育はシンプルにいえば自由な教育です。

自分で物事を考え行動し、自分で学ばなくてはいけません。

しかし一見「自由」というものが強調されやすく思われるかもしれませんが、実際はむしろ与えられないことで自分で自ら行動しないと誰も何もしてくれません。

また得られるものも自分の行動によって左右されるという、厳しい教育でもあります。ではその教育で、どのような学びを得ることができるのか。

元々公立校に通っていてサドベリーに入学した経験を持つ私が、実際どのような違いがあり、どのような学びがあるのか、私なりの観点で書いていきたいと思います。

そして今回は、時間編とルール編についてお書きしたいと思います。

時間編:日常を考えるのが非日常

公立校に通っていた頃はいつも決まった時間に学校に行き、授業を受け放課後は友達と遊んで夜に宿題をして眠る。

大雑把にいえばこのような感じで私は日々を過ごしてました。

この流れが習慣化して、後先考えずただただ一日のルーティーンをこなすような感じで過ごしてました。

そしてあっという間に一日、一週間、一ヶ月、一年と過ぎていき、大人のいう時間が短く感じるっていうのはこういう事なんだなと、小学生の年齢で感じるようになっていました。そもそもやることが与えられると、自分から考えなくても大体のことをこなすだけで、およそ問題なく過ごすことができます。

ですので結構いまと比べると、時間がただただ過ぎるのを待っているような感覚で、今サドベリーに通っているように自分で時間をコントロールする感覚がないんですね。そのような感じで、深く思考を巡らせることなく、時に身を委ねるように過ごしていました。

そのため簡単な疑問にも答えを出すのに思った以上に時間がかかったりもしていました。

でも「これが普通なんだろう」と自分を流すことも多かったです。サドベリーはほとんどの時間が自由なので、時間の感覚はだいぶ緩やかで、時間に余裕ができます。そのため、正直最初はやることがなく、ボーッとすることも多かったです。

しかし『やるべきこと』のほとんどから解放されて、考えることが変わっていきました。それに自分で時間をコントロールすることができるので、考えたいことはじっくりと考えることができるし、新しいことに触れてみて、そこから新たに学びや気づきを得ることも増えました。

いつもだったら「今何をするべきか」とか、「この後しなきゃいけないことは何なのか」と考えていましたが、その重要性が下がったので私は日常に目を向けるようになったのです。

そもそも考えてみると、私にとって日常を考えること自体が、非日常的なことなんじゃないかと思ったのです。

いつもなら考えない自分のこと、環境のこと、忘れている感謝のことや、慣れてしまっている感覚のこと。

全てにじっくりと目を向けて、もう一度再認識することで何か忘れてしまったものを思い出せたり、そこから新たに学びを得ることができます。

いつも過ごしている日々において、日常という土台を理解して自分なりにコントロールしたりすることは、サドベリーに入ってみて本当に大切だと思うようになりました。

日常の中での気づきや考えが、日々を豊かにするものだと思いますから。

ルール編:ルール違反に学ぶ思考力

サドベリーには色々と公立校とは異なるシステムがありますが、その中でも面白いなと思ったシステムが、ルールのシステムです。サドベリーには皆でつくってきた生活上必要最低限のルールがあります。

そのルールを違反してしまった際に、自分か第三者が申告書を書くことでルールミーティングで話し合うことができるというシステムがあり、そこで話し合うことで「なぜそうなったのか」や、「今後どうすればいいか」など自分で考える機会が与えられます。

公立校と比べると、ここは大きな違いですね。

そもそも私のいた公立校にはルールなんてありませんでしたし、悪いことをしても先生が一方的に叱るだけで自分で自分の罪をじっくり考える機会なんてほとんどないです。(公立校には校則がありますが、サドベリーのルールとはまた内容が異なると考え別のものとして書いています。)

私の周りであったことで例を挙げるなら、最初はただのいじりだったのに後々いじめに発展し、いじめられた側は先生に相談し先生はいじめっこを怒りますがいじめっこは反省せずまたいじめを繰り返す、というような。

しかし、いくら先生が怒鳴っても、反省しない人は反省しません。

自分で悪いことだと意識して反省し、改めなければ怒る時間も無駄になるだけです。

一方サドベリーではどうなのか。

例は先ほどと同じもので比較します。いじりがいじめに発展し、虐められた側は申告書を出したとします(心と体の安全というルールがあります)。ルールミーティングでは加害者側を責めるようなことはしません。

ですが反省していなければ、罰則というか今後はこうしてもらいますとか、最悪の場合退学ということもあり得ます。

このルールミーティングで大事なのは、自分のしたことに対して「どうしてこうしたのか」や、「自分の中でどう思っているのか」、「今後どうしていけばいいか」など、自分で考えなくてはいけない部分です。

自分で考え答えを出さなければ、得られる学びも限られます(解決策は周りの人の案も参考にしたりできます)。

そしてこのルールミーティングは、いわゆるソクラテス問答法のような、質問を問いかけて内容が進行していきます(第三者視点でルールミーティングに参加することも多く、自分だけでなく第三者から学ぶこともあります)。

自分から考えることで、自分の行動の本質部分や自分を知ることができるようになってきます。

「自分は何が苦手で」「こういう傾向があって」「こういう行動をとってしまう」というように、自分を理解してから行動をとるようにすることができれば、自分にとってベストな選択肢がわかりやすくなりますし、対人関係にもいかせます。

そういう点において私はこのシステムがサドベリーの中でも結構好きですね。

自分から考える力は普段の生活でも鍛えようと思えばできますが、その思考力を有効的に活かすこと(実戦練習みたいなもの)もできるのが、このシステムの大きな特徴だと思います。

まとめ

今回、時間編では公立校にいた頃の時間の使い方や考えていることの違い。

時間ができて日常に目を向けるようになると、色々と気づきや学びが生まれたりしたことについて書かせていただきました。

時間を使うという行為は当たり前のようで一生に一度の瞬間を使っているものですから、時間の使い方は自分でコントロールできた方がいいと私は思っています。

サドベリーでは結構自分で使える時間が多いので、私は好きなことをしたり、上記に書いたように日常に目を向けては疑問を自答したりしてます。

日常の中でも意外と新たな気づきや学びは結構出てくるもので、面白いのでぜひお時間ある時にしてみてください。

またルール編では、思考力をテーマに書こうと思ったのですが、システム紹介をする面が大きいかもしれません。

自分で考えることの大切さや、公立校との違いもまとめて書かせていただきました。

怒る教育も完全に否定はしませんが、あまり効率面で考えるとよくはないシステムかと公立校にいたときは常々思っていました。

公立校にもサドベリーのルールミーティングのようなシステムがあったら良いのになあと、今では思います。コミュニティの中で心地よく過ごすための良いシステムです。

思考力だけでなく協調性という点でも優れているシステムかもしれません。

今回はサドベリーに得る学びをテーマに記事を書いてみたのですが、全部書こうと思うと一つの記事には書けないなと思い、この記事には時間編とルール編を書きました。

今後もまた別の記事で、別の〇〇編について書けていけたらなと思います。

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