written by parents
蓑田雅之

「サドベリー教育」は幅広くある選択肢のひとつ。
「東京サドベリースクールがあってよかった」

これまで私はこの場をお借りして、東京サドベリースクールの保護者となって気づいたことや考えたことなどをいろいろと書かせていただきました。まず、ここでお断りしておきたいのは、私は教育の専門家ではないということ。教育について学んだことは一度もなく、セミナーや勉強会に参加したこともありません。教育に関してはずぶの素人です。

ですから、ここで書いてきたことは、あくまでも私の個人的な感想にすぎません。ひとりの保護者の勝手な思いであり、「東京サドベリースクール」や「サドベリー教育」の公式な見解とは無縁のものです。そして、私個人の子育ての中から気づいたことを書きとめたものですから、他の親御さんの教育の参考になるものでもありません。一人ひとりの子どもが個性を持っているように、一つひとつの家庭の子育ては違うものだと思っています。

「東京サドベリースクール」は、個人的には好きな学校です。すばらしい点が多々あります。でも、他の学校にも優れた点はたくさんあります。公立や私立学校、他のフリースクール等の教育を否定するつもりは一切ありません。そして、すべてのお子さんや保護者に「サドベリー教育」が合っているとも思いません。このような特殊な教育は、幅広くある選択肢のひとつにすぎないと思っています。

ただ、個人的な感想を述べさせていただくと、「東京サドベリースクールがあってよかった」と私たちは思っています。私や家内が育った時代には想像もできなかった教育ですが、うちの子にはぴったりマッチしたようです。SMAPのヒット曲に「世界に一つだけの花(作詞・作曲・編曲/槇原敬之)」があります。花屋の店先に並んだ花のことを歌ったものですが、あの歌詞は本当にすばらしいですね。

花屋の店先に並ぶ花は「どれもみんなきれいだね この中で誰が一番だなんて争う事もしないでバケツの中 誇らしげにしゃんと胸を張っている」

「それなのに僕ら人間は どうしてこうも比べたがる? 一人一人違うのに その中で一番になりたがる?」

そして最後に歌詞はこう結びます。

「そうさ 僕らは世界に一つだけの花 一人一人違う種を持つ その花を咲かせることだけに一生懸命になればいい」

まさに子を持つひとりの親として、心からうなずける内容です。

そう、子どもはきっと一輪の花なんだと思います。自分だけの人生を見事に咲かせる花。でも、種のうちはどんな花が咲くのか分かりません。種はみな同じように見えるからです。もし、それがひまわりの種だったら、絶対にバラの花は咲きません。種をまいた人がいくらバラになってほしいと願っても、その花はやっぱりひまわりなのです。

子育ても同じではないでしょうか。子ども可愛いさのあまり、親はときとして勝手に「バラになれ」なんて願ったりします。そして、バラの花の育て方にならい、種に水をあげたり栄養を与えたりします。バラになった方が華やかだし、その方が花にとって幸せに違いないと思って。しかし、ひまわりはひまわりで、決してバラにはなりません。無理やりバラの育て方を押しつけると、枯れてしまうかもしれません。

では、親はいったい何をすればいいのでしょう。子どもに対して親ができることは何なのでしょう。植物の世界にたとえていうなら、親の果たす役割は「土壌」になることではないでしょうか。子どもが芽を出し、茎を伸ばし、花を咲かせるために必要な栄養を与える、どっしりとしたプランターになることだと思います。

人があれこれ指図せずとも、植物は勝手に育っていきます。種の中にはどんな花になるか、すでにその未来が宿っています。でも、それが何の花かは咲いてみるまで分かりません。たとえ分かっていたとしても、少なくともプランターが決めることではありません。親は子どもが可愛い。だから、子どもに幸せになってほしいと切に願います。でも、ここで問題なのは、「幸せとは何か」ということ。

非常に深い問題なのでここでは掘り下げませんが、ひとつ言えることがあるとすれば、人の幸せは他人が決めるものではないということでしょう。幸せは究極の個人的な価値観です。この連載で何度か繰り返してきましたが、「親と子は対等の関係」であり、「子どもを親とは独立した一個の人間」として認めるべきだというのが私の考えです。

そう思うと、子どもの幸せを決める権利は親にはありません。はたから見て苦しそうでも、たいへんそうでも、本人が幸せと思えば、それは幸せなのです。「子どもに幸せになってもらいたい」ばかりに、子どもの人生に口出しするのは、親としての越権行為であり、かえって子どもを苦しめてしてしまうかもしれません。子どもの人生は、子どものもの。どんな花になるかを決めるのは、親ではなく子ども自身なのです。

親にできることはただひとつ、子どもがすくすくと育っていくための豊かな土壌を提供すること。その土壌とは、心豊かな家庭のことだと思います。互いに話したり、笑ったり、ときには喧嘩したり、仲直りしたり、そんなことが普通にできる家庭のことだと思います。その家庭という土壌に支えられ、子どもは勝手に芽を出し、茎を伸ばし、つぼみを膨らませて育っていきます。私たち親はその成長を見守りながら、「世界に一つだけの花」が咲くのを楽しみに待っていればいいのです。

おわり

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