written by staff 杉山まさる |
みなさんは「なんで勉強しないといけないの?」と思ったことはありませんか?
およそ誰しもが、一度は生徒という立場で教育や勉強というものを経験しています。
まさに今、子ども時代真っただ中にいる方も、「なんで勉強しないといけないの?」と思ったことがあると思います。
そしてこれは、元子どもであるすべての大人も、一度は思ったことがあるのではないでしょうか。私は一度どころか、数えきれないくらい思いました。とくにテスト前日に。。
また、子どものいる保護者の方も、小中高校の先生方や、塾で教えている方も、生徒に聞かれたことがあると思います。
そこで子どもに聞かれて「みんなやるから」とか「あなたのため」と言っても納得している子は少ないのではないでしょうか。
もし自分が子どもでそのように言われても、ちょっと腑に落ちない感じもしますね。
考えてみれば、なぜ私たちは学校で勉強してきたのでしょうか?
勉強とはなにか?
まず「勉強」という言葉から考えてみましょう。
勉強には「勉」という字と、「強」という字があります。国語辞典でそれぞれの字を調べてみました。
「勉」は、全力を傾けて何かをする。
「強」は、強いもの、つよくする、無理に(つとめて)するとあります。
そして「勉強」には、「そうする事に抵抗を感じながらも、当面の学業や仕事などに身を入れる意」とあります(新明解辞典)。
これだけ見ると、無理にやらされるものという印象を持つのは、仕方がない感じもしますね。勉強は「つまらなくて嫌なもの」という思い出がある大人も、多いのではないでしょうか。
しかし、一般的な学校教育で生徒の立場を経験しつつ、サドベリー教育では実践者という二つの立場を経験してきた今の私はこう考えます。
学校は自分を育てたいように育てる環境、自分が学びたいことを学びに行くところである。そして自分が興味を持ったものや、必要だと感じたものを学ぶことは楽しいことであると。
子どもの教育は基本的に家庭で行われる必要のあるものですが、全ての親が子どもにあらゆることを教えることはできませんね。
挨拶といった礼儀や、自分を自分で管理することなどは教えられますし、仕事をしている大人は文明社会では何かの専門家ですから、その分野については教えられるかもしれません。
しかし、家庭内だけではその他の様々なことを子どもが学べるようにするにはどうしても限界があります。
そのため、子どもが何を学びたいか、どう育ちたいかによって、家庭外に学び場を求めることは自然なこととなります。
勉強することに疑問が生まれる理由
その内容が、一般的な学校の教科であれば地域の公立私立学校になります。
自由の中で自分の興味のあることを見つけたい、自分を育てたいのであればサドベリースクールが選択肢にあがります。
また、もしバレエを習いたいのであれば、バレエ教室やバレエ学校に行くでしょうし、サッカー選手になりたいのであればサッカー教室やプロのユースチームに入るということもありえます。
そう考えると、「なんで勉強しないといけないの?」という疑問は本来生まれないものだと考えられます。
なぜなら、自分で主体的に何かを学びたい(習得したい、経験したい)と思い、自分でそれができる学校を選んだのであれば、そこでは教科に限らず学ぶ内容、勉強することを前もってわかっていて納得して(むしろそれを行いに)入学をしているはずだからです。
つまり「なんで勉強しないといけないの?」という疑問は、厳しい言い方をすれば、自分でしっかりと自分の道を選んでおらず、自分は望んでいないのにやらされていると本人が感じるために思うことなのです。
他の教育や学校を検討せず、偶然にも、入学した学校の教育内容が自分に合っている子は幸運です。
しかし多くの場合「とても合わない」もしくは「すごく合うわけじゃないけど通えないわけでもない」といったところではないでしょうか。
そして、そもそも自分でその教育を選んでいないのであれば、被害者意識ややらされ感が出やすくなるのは当然といえるでしょう。これは小学生、中学生で顕著です。
私の公立私立の教員友人数名に聞いただけでも、毎日クラスで生徒たちと接していて一般的な学校の教育が合っていると思う生徒は、10名から15名中ひとりだと答えています。それは私自身の経験からも納得のいく割合です。
「いやいや、自分は高校を自分で選んだよ」という方もおられるでしょう。実は高校に関しては私もそうでした。
しかし、公立か私立か、地域のいくつかの高校からは選んだつもりでも、もっと広く、一般的な教育以外も選択の候補になっていたかというと、私は違いました。
私も高校は選んだつもりでいて、一般的な教育以外の選択肢はありませんでした。でも、そのような方は私に限らずとても多いのではないでしょうか。
多様化の時代、そして人と違うことが強みになりうるこの世界は、自分をどう育てるかをもっと選んでもいいと思います。
まとめ
サドベリー教育やシュタイナー教育、インターナショナル教育、さらには、自宅教育(ホームエデュケーション)なども、一般的な教育を実施している学校と同列で検討してみてはいかがでしょうか。
そのうえで、「ここにしよう!」と決めたのであればきっと自己決定感が強く、納得してその選択肢の学びを得やすくなります。それは本人の学びや成長のためによいことだと考えます。
逆に、自分でちゃんと選んでいない状況で主体的に学ぶことというのはなかなか難しいものです。
そのため、社会で「主体的な学び」や「アクティブラーニング」ということをわざわざ言わなくてはならなくなってしまいました。本来何かを学んだり、自分を育てていくことは主体的なものであるはずなのに、ちぐはぐになってしまったのです。
そろそろ「なんで勉強しないといけないの?」へのまとめをしていきましょう。
勉強しないといけないのではなく、そもそも何かを学びに行くのが学校、自分をどう育てたいかを考えて選ぶのが教育。
ですから、車を運転したいのであれば、車や法律に関する勉強をして免許を取得するのが当たり前なのと同じく、自分がどうなりたいか、自分をどう育てたいかで学校や教育を“自分で”選ぶとよい。
そうすれば、なんで勉強しないといけないの?という疑問はなくなり、その選んだ教育の学びを得やすく、日々がもっと楽しくなると思います。
だって自分の興味のあることを学べるのって、本当に楽しいことですからね。
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